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曲がり屋であること

以前に協調性や連帯性を重視した教育のあり方について、バランスが大切であると持論を述べました。
今回は、その話に通じる別角度の話をしたいと思います。
人間は、同じ価値観(同じような価値観)を刷り込まれすぎると、その輪の中から踏み出すことに怖気付いたり、

いけないことだと勘違いしたりします。
この輪を乱してはならない、協調せねばならないとか、同調していれば安心だと考えてしまいます。
しかし、革新的な技術や発想は、人とは違う何かを生み出す事ですから、本当にそうですか?

と一旦再考する癖をつけておくことも、教育上大事なのだと思います。
もしかして違うんじゃないかと。
もっとこうしたらいいんじゃないかと。

あいつは変わってる
女子校時代の私は、浮いた存在でした。
何故か女子は、尿意も無いのに連れだってトイレに行きたがったり、

自分と考えの違う子を極端に区別して、お弁当の輪に入れなかったりします。

私は浮いた存在でも、お弁当の輪に入れてもらえる権利を得ていたのですが(笑)
もともと群れるのが大嫌い、自分の時間を出来るだけ多く持ちたいので、

輪から除け者にされた子にあわせて、一人机で食事していました。

するとある日、変化が起こりました。
ボス猿、いえ失礼、机を囲んでいるリーダーの子が、除け者にした子も含んで、お弁当を食べはじめたのです。

私はその変化、どうでも良かったのですが、除け者にされていた子には、嬉しい変化だったようです。

リーダーの子にどんな心境の変化があったのかは知る由もないのですが、もし仮に彼女が、

自分基準で考えていた視野の狭い考え方を修正して、多様であることを認めた結果の行動だとしたら、

素晴らしい変化だと思います。

いじめがなくならないのは、協調性ばかり重んじるからで、多様性を認めること、

自分中心に他を分析しないことの大切さや、そこから学びうるものの大きさを知らないからだと思います。


みんな違ってみんないい

と相田みつをが言いましたが、本当にその通りです。

あなたと私は違い
違っているからいいのです

変わってると言われることを誇りに思っていいのです。
なぜならあなたから見た私が、あなたと同じならそれこそ大問題ですから。